KAMIKAZE DJ BATTLE@船場Cellイベントレポート&主催者DJ $HINさんへインタビュー

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2016年3月に大阪で2日連続で開催されたDJバトルGRIND DJ BATTLEとKAMIKAZE DJ BATTLE
KAMIKAZE DJ BATTLEのレポートと、主催者のDJ $HINさんへのインタビューです。

GRIND DJ BATTLEのレポート&インタビューはこちら
GRIND DJ BATTLEイベントレポート!&主催者インタビュー!

KAMIKAZE DJ BATTLE @船場CELLレポート

今回のKAMIKAZE DJ BATTLEはSKRATCH部門とSOLO部門があります。

大会の概要はこちら
3月は大阪でDJが熱い!バトルDJ注目の関西DJバトル2連チャン!

まずはSKRATCH部門!

計8名のDJが120秒のスクラッチを披露。その中から上位4名が準決勝に進出します。準決勝からは60秒のフリースタイルと90秒のルーティンでの対決。

DJ RENA
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DJ OMOCHI
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DJ MAKO
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KEMURI the DJ
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DJ REIKO
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DJ LION
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DJ PUNCH
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DJ NE-NYO
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続いて、SOLO部門予選

SOLO部門は120秒のルーティンを行い、上位4名が決勝戦を行います。

DJ KAZUKI
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DJ MAKO
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DJ MAKOTO
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DJ OM
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DJ REIKO
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DJ RENA
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DJ S2
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それぞれの予選を勝ち抜いたDJを発表!

SKRATCH部門

  1. KEMURI the DJ
  2. DJ PUNCH
  3. DJ OMOCHI
  4. DJ RENA

準決勝の対戦は、
KEMURI the DJ VS DJ OMOCHI
DJ PUNCH VS DJ RENA
となりました。

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KEMURI the DJとDJ OMOCHIの対戦は、New Trick DJ Battleの1回戦でも同じ顔合わせでしたね!

SOLO部門

  1. DJ OM
  2. DJ MAKOTO
  3. DJ RENA
  4. DJ KAZUKI

結果は?

SKRATCH部門の優勝は何と11歳のDJ RENAくん!
SOLO部門の優勝はDJ MAKOTOさん!
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それぞれの結果はこちら!

SKRATCH部門

  1. DJ RENA
  2. KEMURI the DJ
  3. DJ PUNCH、DJ OMOCHI

SOLO部門

  1. DJ MAKOTO
  2. DJ OM
  3. DJ RENA
  4. DJ KAZUKI

GM YOSHI賞:DJ REIKO

前日のGRIND DJ BATTLEとはまた違って博識の高い大会という雰囲気。それは主催のDJ $HINさんとGM YOSHIさんの存在感からでしょう。引っ張られるように参加者の本気度が伝わってきました!
入賞したDJの皆様おめでとうございます!!

主催者DJ $HINさんへインタビュー

KAMIKAZE DJ BATTLE主催者のDJ $HINさんへインタビューを行いました。

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DJを始めたきっかけは?


――$HINさんがDJを始めたきっかけを教えてください。

DJ $HIN:
ダンスのブームが10才の頃来て、それがきっかけでまずダンスを始めたんですよ。
高校生の頃もダンス甲子園という番組の影響でダンスに夢中だったんですが、ある日友達の勧めでスキー場のアルバイトをすることになって、そこでDJと言うものを初めて知りました。

――スキー場にDJがいたんですか?

DJ $HIN:
ディスコやね。
その頃は89-90年くらいでバブルの残りカスみたいな感じで、スキー場にスキーじゃなくてディスコに遊びに来る人も多かったんよ。

DJ $HIN:
宿舎も一緒なのでDJの人とも仲良くなって、あれなにやってるんですか?て聞いたらレコードをかけてそれが終わる前に次の曲のテンポ合わせて。。。とか教えてもらったんよ。
それからDJってすごいな〜!ってなって、ダンスやめて速攻始めたんよ。

――へ~~。ちなみに最初はミックスからですか?

DJ $HIN:
しゃべりのDJ。
しゃべりとミックスやったらカッコいいかな?と思って。

スクラッチを始めたきっかけは?

DJ $HIN:
で、大阪に帰ることになって、それまで習ってた人に相談して大阪行くなら誰々のところに行けって言われて、そこ行ったらどこどこのクラブで見習い探してるからってなって、それで紹介されたのが私の師匠ですよ。

その師匠がスクラッチとか好きだったんですよ。
その当時スクラッチをやるDJなんてほとんどいない時代ですよ!

――2000年以降のバトルDJブームの前の方たちってどうやって始めたんだろ‥と思ってたんですけど、人伝いなんですね〜

DJ $HIN:
そうなんよ。もろ俺ら世代なんじゃないかな?
(師匠の)自宅に呼ばれていった時、DJブースがあってその当時自宅にDJブースがある人なんてほとんど居なかったからびっくりして。
お店とかにあるミキサーって凄い大きい業務用のミキサー使ってたんだけど、その人の家に行くと、メロスの2Chのミキサーが置いていて。PMX2かな?
お前にイイもん見せたるわ〜て見せてもらったんがDMC88-89年とかのビデオで、その時の最先端じゃないかな?

それでびっくりしてしまって。
今までだったらしゃべってキレイにミックスしててのがかっこいいと思ってたんがキャッシュマネーとかDJ アラジンのスクラッチとか見せられて、俺はこれをやるしかない!て思ったんよ。
俺がDJ初めてスクラッチをやるようになったのはこういう感じかな〜。

Cash Money (USA) - DMC World Champion 1988 -- Winning Set

――やっぱりそういうきっかけの動画とかがあるんですね!始めた頃はどうやって練習したんですか?

DJ $HIN:
その当時でもあったんですよ。裏ビデオ的な教則動画とか。師匠がアメリカからラジオのカセットとか送ってもらったり。
その師匠がやってたからな。いろいろ教えてもらったり。レコード屋さんに行くとDMCのビデオがあったり。

GM YOSHIさんについて修行

DJ $HIN:
90年でYOSHIさんがチャンピオンになったあたりかな?
師匠とYOSHIさんがマブダチだったからビデオで見てたYOSHIさんが来てチョコチョコ擦るの見たり。

そのお師匠さんの家業が散髪屋で、その散髪屋を継ぐからってことで、YOSHIさんのとこについて修行させてもらうことになったんです。

ツアーについて行って前座やらしてもらったり。
細かいテクニックとかは教えてもらってないかな?
気合いでバーンとやんねんとか。お前の気持ちが足らんねんとかそういう教え方(笑)

――今のスクラッチやる人はテクニック重視の方が多くて、技が細かいですよね~。

DJ $HIN:
そうやね。その代わりハートの足らない奴多いよね。その細かいテクニックと気合いのバランスが大事

――いつからテクニック重視になったんですかね?

DJ $HIN:
Q-BertがDIYとか出したあたりやね。あれまでスクラッチに一個ずつに名前なんてなかったからね。

Q-Bertと仲良くなったのはYOSHIさんについてから。
YOSHIさんが凄い人だから、周りにいろんなメンツが集まるわけ。
DJ HONDAさんとかTA-SHIさんとかBEATさんとかMICKさんストレッチアームストロング、Q-Bert、ISP X/Men ロックレイダー、ロブスイフトとか。。。

「DJ Q-Bert」‥スクラッチの神様といわれている人物で、世界的に評価されているDJ。

Q-Bertに会いにNYへ!

DJ $HIN:
そのときに、俺Q-bertの事好きだったから、どこに行ったら会えるの?って聞いたらサンフランシスコっていうから、おれ96年にサンフランシスコいったんよ。

NYとサンフランシスコとロス。

俺が今までやってきたの全部モノマネなわけなんやん?DMCの真似するとか。人のプレイの物まねするとか、自分がやってきたのがホンマもんなんか分からんかったわけ。それがNY、サンフランシスコ、ロス回ったらアメリカのヒップホップが大体わかるかな?って思って。

サンフランシスコ行ったらすぐQ-bertに会えるやろって思ってたらQ-bertの事はみんな知ってるけど誰もどこにいるか知らんわけよ。
サンフランシスコ中のレコード屋をしらみつぶしに聞いて回って連絡先知らんか聞きまくった。100件くらい。
たどり着いたのがゼブラレコードってとこで。そこの店員に聞いたら「分かる。」と。よく来るし、この前も来た。と。
レコード何百ドルも買って、こんだけ買うから教えてくれ!って頼んだけど、そんなに勝手に教えられんって言われて。。。

そうこうしてたらオーナーが来て、オーナーが「教えてやれよ。」っていって教えてくれた。
連絡して、大阪であった$HINやけど覚えてる?って言ったら覚えててくれて迎えに来てくれた。
結局、ざっくりサンフランシスコって聞いてたけど、Q-bertの地元デイリーシティっていって。こっから(大阪から)京都くらい離れてるんよ。

Q-Bertに弟子入り

――(笑)日本だと関西って言われたようなもんなんですかね?

DJ $HIN:
そうそう。。。
で、彼のところで練習させてもらうみたいな。そっからはQ-bertが先生代わりになった感じ。

――すごいですねー!!スクラッチの神様って言われてる人ですからね!!

DJ $HIN:
DIYはその後くらいじゃないかな?

――DIYはぼくもお店で働いていたときだったから2000年くらいですね

DJ $HIN:
オレが行った時、しきりに教えてもらったのがフレアスクラッチの原理についてとか。
ワンクリックとか、ツークリックとかの原理しか知らないから、2回切ったら3回音が出るとかしか分からなかった。
その頃こういうの知ってたのってYOSHIさんとかTA-SHIさんとかHONDAさんとかその周りの人間しか知らなかったと思う。フレアスクラッチ見たことある人もほとんどいなかったと思う。
2回音切ったら3回音出るらしいよとか聞いて、みんなそれぞれが考えてやってたと思う。

※フレアスクラッチについてなどは、こちらの記事をご覧ください。

――その時は無かったんですね。情報とかスクラッチの技術が。

DJ $HIN:
技術が無かったというか、分解するヤツがいなかったと思う。
音は聞いたことあるけど、どういう原理かを考えるやつがいなかった。

――ほ~。その頃は技とか関係無しに、こんな音って感じだったんですね。

DJ $HIN:
そうそう。フレーズを聞かせる感じ。この音はこうやったら出るとかだったから、一個一個これはこれとこれとか、コンビネーションとかまでもっていったのがQ-Bert。

――今はどんどん理屈っぽくなってますよね。

DJ $HIN:
そうやね。それが良い部分もあるけどね。説明するときにわかりやすいから。
その辺りを一般に公開したのがDIYやね。

――僕らの世代はTA-SHIさんのマストテクニック25を見て育ったDJが多いんですよ。その後D.I.Yは見ました。

DJ $HIN:
その頃は電話しかなかったから、電話で音聞かせてこれが何々。。見たいな感じで意見交換してた。

96年から2000年くらいまでQ-bertのところでお世話になったから、だいぶ俺らより先行ってるなってのは痛感したね。

KAMIKAZE DJ BATTLEを始めたきっかけ

――「 KAMIKAZE DJ BATTLE 」を始めたきっかけを教えてもらえますか?

DJ $HIN:
KAMIKAZEバトルの企画は2000年くらいからあって。
YOSHIさんのDMCとかオフィスGMバトルを見ていたこともあって、運営の大変さとかわかってたから生半可にはできないと思ってた。やるからには続けないといけないし。なかなか思い切らなかった。

DMCがいったん無くなったりして、誰もやらないなら俺がやらないといけないな。という思いで重い腰を上げて、長年温めていたのを吐き出したという感じ。

――DMC JAPANが消滅して開催されなかった2012年ですね。KAMIKAZE DJ BATTLEはいつくらいからやり始めたんでしたっけ?

DJ $HIN:
2013年当たりやったかな?
オレがやらないといけないな?って思ったわけ。
YOSHIさんが大会を主催してくれていたおかげでオレが世に出て行けたってのを凄く感じてたし、それをいつまでもYOSHIさんがやるっていうわけじゃなくて世代交代していって。次オレの番かな?って思った。どんなチャンピオン出てくるかな?ってのもあったし、オレがやったらどこまでやれるかなというのもあったし。

俺がやってるT.T.EてのもDJに特化したレーベルやと思ってるし。そこをやれば全てクリアできるなと。
DJスクールやってる。使うバトルブレイクスも出してる。次はバトル。
実際やったら大変(笑)

――僕2003年から始めたんですよ。
――お客さんからバトルの大会どこかでやってないかといわれて、いろいろ調べたんですけど無かったので、じゃやろうか。という事ではじめたんですよ。

DJ $HIN:
そういう大会に率先して出てきてくれて、それをきっかけにのし上がってくれたりしたらうれしいよね!
やっぱりDMCがなくなったのが凄くきっかけになったね。

オレがバトルを現役でやってたときも一回なくなったんよ。96年位かな?
日本の主催者がいなかったんだろうね。その頃は一生懸命やってたから凄くショックだったからね。そういう思いを今の子にさせたくなかったし、何かしらはけぐちを作らないと育つものも育たないから。
やってわかったけど、思ったよりも大変(笑)

KAMIKAZEに今後出たい方、オーガナイズをやりたい方に向けて

――KAMIKAZEって、京都とか、いろんなとこでやってたじゃないですか。他の地区でやりたいっていう方がいたときどうしたらいいですか?

DJ $HIN:
オレの考え方として、KAMIKAZEってのはKAMIKAZEってついてるから俺のバトルってイメージあるかもだけど、みんなで盛り上げて欲しいわけよ。
東京でもやった時はKAMIKAZEを立ち上げた年だし、IQとか来たし、大阪だけで帰らせるのも悪いし、東京でもショーやろうってことで。KAMIKAZEを東京でやったんですよ。

実際の運営は中野のヘビーシックっていうライブハウスのブッキング担当の方が率先してやってくれた感じ。

KAMIKAZEバトルをつかってやりたいってやつがいたら、ひとこともらえれば、もう全然OK。
オレも全然いくし、みんなで盛り上げてもらいたい。
KAMIKAZEって言ったらもう日本のバトルって言ってるようなもんやし。日本のバトルって間違いなく分かるから。
日本人がそこで目立つならいくらでも協力するし。

2016年7月18日(月)KAMIKAZE DJ BATTLE 2016 @札幌DRIP CAFE

DJ $HIN:
今度オレ、7月に北海道に行くんですよ。札幌のDrip Cafeってとこ。毎週スクラッチのセミナーやってるらしいんだけど、そこでKAMIKAZEやろうよ。って

KAMIKAZAE DJ BATTLE 2016 札幌DRIP CAFE
大会の詳細はこちらをご覧ください。
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――New Trick DJ Battle 2015 で2位になったCHAPSさんとかいますね~。ニュートリックに出たDJで地方を盛り上げたいっていうDJいっぱいいるんですよ。各地でやって欲しいですね~!!

DJ $HIN:
各地でいろんな名前の大会があるじゃん。大きいのから小さいのまで。KAMIKAZEつかって全体で盛り上げたいね。
KAMIKAZE自体はフランチャイズ的な感じかな?名前貸すし。

――やりたい方いたら、私まで連絡してもらったら仲介いたします!

DJ $HIN:
もし決まったら賞品の手配とかはオレも手伝うよ。人脈はだいぶあるから。いろんなメーカーさんとかとの架け橋になれればと思います。

DJ $HINさんのリリース作品について

――$HINさんのリリース作品について教えてください。

DJ $HIN:
KAMIKAZE、SAMURAI、ICHIBAN、BANZAI、FUJIYAMADVD、去年KAMIKAZE10周年でKAMIKAZE7。

――STOKYO7もSHINさんですよね?

DJ $HIN:
そうそう。あれはSTOKYOさんから音源制作でオファーが来て。俺も7インチとかつくって売れるかな?って思ってたけど、すぐ売れて、10周年やったからKAMIKAZE7出すことにしたんですよ。
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DJ $HIN:
今までの全部7インチで出したいね。
7インチってジャケットがかわいいから部屋とかに飾りやすいし。
今モバイルのブーム来てるやん。オレもはまってポータブルプレーヤー集めだして。コレクトしだしたら止まらなくなってきたよね。

――7インチでスクラッチやりだした人って、そんなにレコードもないからリリースされたら買いたくなっちゃいますよね!

DJ $HIN:
そうそう。俺もいろいろレコード買ったよ~(笑)

その他の$HINさんの活動について

――その他の活動を教えてください。

DJ $HIN:
楽曲はいろいろ出してるよ。
SHINGO2とアルバムだしたり、それのレコードとか、名古屋のアーティストと曲出したりとかちょいちょいやってますよ。

DJ機材を買うならどういうのがオススメですか?

――これからDJを始める方にオススメするとしたらどういう機材がいいですか?

DJ $HIN:
むずかしいね~。予算のこともあるとおもうし。
でも、ターンテーブルがいいと思うよ。どこのクラブに行っても絶対ターンテーブルだからね。
人前でやりたいと思ってるなら、はなっからターンテーブルでやった方が近道だと思う。

――やっぱりクラブに置いているターンテーブルかCDJですかね。

DJ $HIN:
ターンテーブルで出来るやつならCDJでも扱えるけど、CDJだけだとターンテーブルは難しいね。

――ターンテーブルで、SERATOがいいですかね?

DJ $HIN:
今はそれがスタンダードなんじゃないかな?
コントローラーとかもプラッターがあるってことはターンテーブルに近づけたかったんだろうね。まず始めはCDJにプラッターなんかかなったからね。
やっぱりDJはターンテーブルじゃないかな?

――DJ $HINさんありがとうございました!

DJ $HINさん プロフィール

$hin

Biography
幼少の頃より洋楽を耳にする環境の中で育ち、10歳からブレイクダンスを始める。ダンスに夢中だった彼は遂に1990年DJに目覚め、1992年よりプロのDJとして活動をスタート。

同時にDJバトルにインスパイアされ、そして参戦。数々のタイトルを奪取、西日本チャンピオンを4度経験し、1998年には日本第2位まで上り詰め、 翌年1999年、(*)DMC日本代表となった。

それと同時に、K.O.D.P.のBooなども在籍したS.B.S.のDJとして、Word Swingaz/FutureShockのLive DJとしても活躍。名曲Shingo2/E22との"Pearl Harbor"などのトラックメイカーとしても知られる。さらには数々のテレビ番組にも出演、 FMラジオ番組のレギュラーも勤めた。

2003年にはCREWの名を一部に冠したレーベル、"Turntable Troopers Entertainment"(T.T.E)を立ち上げ、第1弾音源ともなるソロアルバム『World Famous』をリリース。第2弾となった(**)バトルブレイクス『KAMIKAZE BREAKS』は爆発的な売り上げを記録。その後、第3弾『SAMURAI BREAKS』、第4弾『ICHIBAN BREAKS』,第5弾『BANZAI BREAKS』、第6弾『KAMIKAZE SKIPPROOFS』 と、次々にリリース。どれも国産バトルブレイクス史上記録的なセールスで、今もなお記録更新中である。

最先端技術の(***)VDJも積極的に取り入れ、2010年には日本初のVDJクルー『Absolute Sound』を発足。毎週金曜日に行われているUstreamでの無料配信も話題沸騰中である。最近ではDJスクール、音楽専門学校など若手育成やプロデュース活動に重点を置き、トラックメイクやクラブプレイでもそのスキルを発揮している。単にDJとしてだけでなくプロデュースなど、 幅広くこなせる貴重な存在と言えるだろう。まさに日本DJ界の『PIONNER』的存在である。

DMCとは世界48カ国が参加するDJのオリンピック大会。各国予選を勝ち抜いたものだけが世界大会に出場する権利を与えられる。

**バトルブレイクスとはDJの為に作られた効果音集のこと。

***Video DJの略で映像とDJプレイが完全シンクロする最新のDJシステム。

Titles
1994
Vestax ALL JAPAN DJ COMPETITION "Fighting Spirits" Award
Yamaha Music Quest準優勝

1995
ASAP DJ Battle Finalist

1996
West JAPAN DJ Battle 優勝

1998
Office GM DJ Battle '98 優勝
DMC JAPAN 関西予選優勝
DMC JAPAN FINAL 準優勝

1999
DMC WORLD TEAM FINAL 日本代表


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DJ.デジタル楽器アドバイザー 萩尾(はぎお)
この記事を書いた人
DJ.デジタル楽器アドバイザー 萩尾(はぎお)

2001年のDMCのビデオ映像に衝撃を受け、バトルDJを志す。
その後すぐDJバトルを企画し、10年以上定期的にDJバトルをプロデュース。
現在もいろんな大会を企画しています。DJ機材に関して日々追求を続けておりますので、DJ機材に関することなら何でもご相談ください。

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